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「食」は運命を左右する。貪る心が病気を生む。欲が人間を奈落の底に叩き落す

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「食」は運命を左右する。この言葉を聞いた事はあるでしょうか。江戸時代中期の観相学者の大家で、当時日本一の観相家と言われマクロビオティックのみならず様々な食養の考え方の神髄とも言われる基盤を築いた水野南北の言葉です。

彼は幼き頃より盗みを覚え、酒や博打に狂い、食べたい放題暴れたい放題で悪事の数多により牢屋に入る事となるが、そこで囚人達と娑婆の人達との人相が違っている事から観相に興味を持つようになります。娑婆に出た後の南北にある易学者は「剣難の相が出ている。このままだと余命一年だ」と宣告されてしまったので南北はあちこちの寺に弟子入りを求めたところ、ある寺の住職は断るつもりで「向こう一年、麦と豆だけで過ごすことが出来れば入門させよう」と言いました。南北は藁にもすがる思いで真面目に一年約束を守り、1年経って再び寺の門をたたいたところ「剣難の相が消えている」と驚かれたので、食事を真面目に節制した旨を話すと、「それが陰徳を積み、人相まで変えたのだ」と言われたそう。

水野南北

それから観相師になった南北はある日伊勢神宮の天照大神への参拝の際に食を断ち、21日の荒行に入りますがそこで人の運命は「食」にあると説きます。これが「慎食」いわゆる「小食」です。これが南北の思想の基盤となり、後に様々な病気や運命に苦しめられる人達を助ける事となります。

酵素栄養学の第一人者エドワード・ハウエル博士の言葉で「人間が一生のうちで体内で作り出される酵素の総量は決まっている」という言葉がありますが、私にとってはかなり頷けるものがあります。

今や飽食・美食の時代。少し小腹が減れば家のすぐ近くにコンビニがあるので24時間いつでも食べ物が手に入る。テレビをつければさも食べ物をただの物体であるかのように大食いチャレンジ!といった大食い番組を目にすることが最近増えてきました。ただ、その食べ物も添加物等を除いては元々は「生命」です。虫がいるから、植物がいるから、動物がいるから、野菜ができる。そして水や空気、太陽の恩恵も忘れてはいけません。

人間何か不調が出てきた時、それは「もらい過ぎ」なのではないかな、と考えるようになりました。人間を一つのコップに例えてみましょう。そのコップには毎日水・太陽・空気・食べ物・周りの人達の優しさ等でそのコップは少しづつ満たされていきます。しかしそういった恩恵を受けるばかりでその恩恵を周りの人や環境・動物達等に返していかなければいつかそのコップから周りからの恩恵といった水が溢れ出て来てしまいます。これが病気となって襲い掛かり、最悪の場合死に至ります。現代人は貰いすぎなのです。物があって当たり前。お金さえ出せば食べられて当たり前。周りに仲間たちがいてくれて当たり前。考えても見て下さい、昔、戦後物が全くなかった頃を過ごされた先人たちはとても物を大切にします。そして彼らは粗食でしたが晩年もとても元気に過ごされておられるかたばかりでした。よく「うちのお婆さんはお肉食べているけど元気ですよ」と言われる人がいますが、そういった昔の人は幼少期や青年期は食べ物が無かったので芋や豆、それも無農薬の質の良い物ばかりを少量食べていました。ですので体の基盤が違うので老年期にお肉を食べてもビクともしないのは当然です。

話が逸れましたが、そのコップから溢れ出た水、いわゆる病気を治すにはどうしたら良いのか。それは食べ物を粗食・小食にし、無駄な殺生を無くす。最近SDGsが流行っていますが、そもそも毎日たらふくお肉を食べている国が主導権を握っている計画なのにイマイチ納得ができないのは私だけでしょうか…。アメリカやロシアが「核をなくそう!」と言っているのと同じに聞こえるのですが。

そして周りの人達に決して偉そうに見栄を張ったりしない。常に謙虚に、そして無駄な物を買わない。そして小食!これが一番何より大切なのです。マクロビオティックの桜沢先生も、断食の神様である甲田光雄先生も、そして水野南北、マクロビオティックの元となった軍医の石塚左玄も、皆一丸となって小食を声高々に訴えています。贅沢な食事なんて必要無いのです。あるもので良い。お米に野菜の煮物1品だけで十分ご馳走。私達は日本人ですのでやはり昔ながらの日本の伝統食が一番体や精神に合っています。洋食の華やかさ、ハーブやスパイスを使ったカラフルな食事も良いとは思いますが、友人と食事を楽しむ時位に留めておけば良いと思います。

人は不調になった時、あれを毎日食べる様にしよう、この栄養ドリンクを飲む様にしよう、などと自分の中に取り入れる事に重きを置きがちです。違うのです、逆なんです。自分の中から出す様にするのです。不調になったら食べる量を減らすのが一番の近道なのです。〇〇を毎日食べるのではなく、何を食べないか、です。これはマクロビオティックの大御所・大森一慧先生も書籍に書いてらっしゃいます。

人間は何故自分の中に色々取り込もう、あれを食べよう、あの車を買おう、あの服を買ったら毎日楽しいだろうな、友達が沢山いる方がいいに決まっている、等と”多くをもつ”ことに重きを置きがちです。何故なのか。

仏教の心の三毒と言われる貪瞋痴(とんじんち)といったものがあるのですが、

貧(とん)とは、あれこれ欲しがる事、動物的欲求が強かったり、あれこれ欲しがり、あれが食べたいあれがしたい…等といった欲求の事。

瞋(じん)とは、感情をむき出しにする事、ぶちまける事。それによって周りや相手を不快にさせる事。

痴(ち)とは、無知である事。何も知らず、知ろうともしない。故に愚かである事。

仏教では煩悩の中でも特にこの3つを重視し、この3つに振り回されない様生きていく事を説いています。その3つが故に人は不幸になると。今回の件で言えば1つ目の貧ですね。これが病気や身の破滅へと導くものとなります。

そういえば、私の過去知人でお金持ちで毎日肉と魚を両方食べている人がいるのですが(肉や魚は贅沢品です)、その方の母は50代で亡くなられています。恐らく病死なのですが、やはり子供の食事は親に似てきます。となると、この知人の母も毎日肉と魚を両方食べていたのかな…なんて考えてしまいます。そして他の知人ですが、この人は食事ではないのですが、母親・主婦という立場にも関わらず自分のやりたい事しかせず、夜もほぼ家に帰らないため家事も料理もほとんどしない状態なので家中埃だらけ、晩御飯もとんかつ一切れだけ(5人家族)で出歩いていたとの事。お金遣いは荒く、家計は常に火の車だったとか。そんな彼女も今や60を超えてますが手に障害が出て来ており、病院で手術を受けたりしているそうで。そう考えますと、やはり天罰というものは存在するんだな、としみじみ思います。肉や魚を毎日食べ一生分の贅沢食をしたからこそもう食べなくて良い、と天からの思し召しだったんでしょうか。自分の欲望のままに生きて周りに迷惑をかけつづけたがために手に障害といった罰が当たったんでしょうか。しかもその方はコンビニも無い田舎に住んでいるので邪食はあまりする機会が無い筈なのですがねぇ…。やはり天は見ているのですね。

身分相応、己の器を知る。日頃から慎む心を忘れず、貪らない。自分に取り入れる事ばかり考えずに人に分け与える事を考える。これが体も心も健康に、天から愛される生き方なのではないでしょうか。

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About Post Author

みーすけ

京都外国語大学を卒業後、カナダへ留学。帰国後に知財の資格を取得し、特許関係の仕事に就くが鬱病を発症。慢性頭痛や倦怠感、無気力感が抜けず退職した後、絶望に満ちた無職期間を過ごす。結婚をして子供もできるが些細な事で主人に怒りをぶちまけ、子供を怒鳴りつけ手をあげてしまう日々。涙を流す毎日で「何とかしなければ」と改善策を模索し、食と身体がいかに心(脳)に影響を与えるかということを実感し、みるみる回復。現在も更なる向上を目指し、心と体と食についてセルフ人体実験を繰り返す。
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